『十六夜膳房』の毛無はどんな人?本名・学歴や元産婦人科研修医から日テレ社員になった経歴を紹介

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ドラマ『十六夜膳房(いざよいぜんぼう)』を見て、「原作者の毛無さんって、どんな人なんだろう?」と気になった方もいるのではないでしょうか。

実は毛無さんは、中国で産婦人科の研修医として働いた後、日本の早稲田大学大学院に進学し、日本テレビで番組制作に携わってきた、とても珍しい経歴の持ち主なんです。

本名は徐真然(ジョ・シンゼン)さん。

日本テレビの人気番組『月曜から夜ふかし』では、プロデューサーとして中国ロケを企画したことでも知られています。

さらに驚くのが、テレビ局に入社する前から小説家として活動していたこと。

中国で出版した『十六夜膳房』が、時を経て、自分の働く日本テレビでドラマ化されることになったのです。

もともとは医療の道を歩んでいた毛無さんが、なぜ日本に来てテレビの仕事をするようになったのでしょうか。

そして、生と死を見つめる『十六夜膳房』という物語は、どんな経験から生まれたのでしょう。

この記事では、毛無さんの本名や出身地、学歴、医療現場での経験をはじめ、『月曜から夜ふかし』での活躍や村上信五さんとの関係まで詳しく紹介します。

学生時代のちょっと意外なエピソードや趣味など、人柄が伝わる話も見ていきましょう。

目次

十六夜膳房の毛無はどんな人?本名や出身地などのプロフィール

毛無さんは、中国・上海出身の小説家で、日本テレビの番組プロデューサーとしても活動してきた人物です。

日本では『十六夜膳房』のドラマ化で原作者として注目されていますが、テレビ業界では本名の徐真然さんや、「徐P」という愛称でも知られています。

まずは、これまでに公表されているプロフィールから見ていきます。

毛無の本名は徐真然!中国・上海出身の小説家

毛無さんの本名は、徐真然(ジョ・シンゼン)さんです。

作家としては「毛無(マオ・ウー)」という名前を使い、日本テレビでは本名で活動しています。

基本的なプロフィールをまとめると、次のようになります。

項目公表されている情報
筆名毛無(マオ・ウー)
本名徐真然(ジョ・シンゼン)
出身地中国・上海
中国での学歴医科大学卒業
日本での学歴早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了
医療関係の経歴産婦人科の研修医
日本テレビ入社2019年
主な仕事小説家・テレビ番組制作
代表作『十六夜膳房』
担当番組『月曜から夜ふかし』など
趣味料理、猫を吸うこと

この経歴を見るだけでも、かなり幅広い経験をしてきた方だと分かりますね。

中国で医学を学び、日本ではジャーナリズムを研究。そして、テレビの制作現場で働きながら、小説家としても注目されるようになりました。

一つの仕事をずっと続けてきたというよりも、自分の関心に合わせて新しい世界へ進んできた人物といえそうです。

毛無というペンネームの読み方と由来は?

「毛無」という名前は、初めて見ると少し不思議に感じるかもしれません。

日本語ではそのまま読むのが難しいですが、正式な読み方は「マオ・ウー」です。

中国語では「毛」がマオ、「無」がウーと発音されます。

ただし、なぜこのペンネームを選んだのかについては、本人による詳しい説明が見つかっていません。

作家によっては、本名とは違う響きを楽しんだり、作品の雰囲気に合わせたりして名前を決めることもあります。

毛無さんの場合も何か理由があるのかもしれませんが、今のところは分からないんですね。

ちなみに、日本テレビの同僚からは本名にちなんで「徐ちゃん」と呼ばれることもあるようです。

ドラマ『十六夜膳房』の制作に携わる鈴間広枝プロデューサーが、公式コメントでこの呼び方を使っていました。

作家としての「毛無」と、テレビ局員としての「徐真然」。

二つの名前を知ると、それぞれ違った活動をしているように見えていた人物が、一人につながるのも面白いところです。

毛無の国籍は中国?日本へ来たのはなぜ?

毛無さんは、中国の上海で生まれ育ちました。

中国の医科大学を卒業した後、産婦人科の研修医として働き、大学院進学をきっかけに東京へ移住しています。

その後、早稲田大学大学院を修了し、2019年に日本テレビへ入社しました。

現在の法的な国籍は公式資料で明記されていませんが、中国・上海出身であることは確認されています。

日本に来た理由については、進学だけでなく、大好きだった日本のテレビ番組の存在も大きかったようです。

毛無さんは、もともと『月曜から夜ふかし』のファンでした。

その番組を作る側になりたいという思いもあって日本へ渡り、実際に日本テレビで働くことになったのです。

中国で医療の仕事をしていた人が、日本のバラエティ番組に惹かれて人生を大きく変える。

なかなか思い切った選択ですよね。

しかも、後には自分の故郷で『月曜から夜ふかし』のロケをするという夢まで叶えています。

毛無の年齢や結婚、家族構成は?

毛無さんの生年月日や正確な年齢については、公式プロフィールでは公表されていません。

ただ、2023年に放送された『月曜から夜ふかし』では、24歳のときに来日したという経歴が紹介されています。

来日した正確な年月や誕生日が分からないため、現在の年齢を断定することはできません。

また、結婚しているかどうかや、配偶者・子どもの有無についても、確認できる公式情報はありませんでした。

家族について分かっていることは限られていますが、毛無さんが上海の下町で育ったというエピソードは残っています。

2022年の中国ロケでは、子どもの頃から暮らしていた住宅街を訪れ、現地の人たちにインタビューをしていました。

自分が育った街で、今度は日本のテレビ番組を作る。

そんな経験ができたことは、毛無さんにとってもうれしかったでしょうね。

毛無の学歴は?中国の医科大学から早稲田大学大学院へ

毛無さんの経歴で、まず驚かされるのが学歴です。

中国では医科大学を卒業して医療現場を経験し、その後、日本では早稲田大学大学院でジャーナリズムを学んでいます。

医学とジャーナリズムは、一見するとかなり違う分野ですよね。

でも、大学時代のインタビューを読んでみると、この二つには毛無さんなりのつながりがあったようです。

中国の医科大学を卒業し、産婦人科の研修医として勤務

毛無さんは、中国の医科大学を卒業しています。

卒業後は、産婦人科の研修医として働いていました。

この経歴は、村上信五さんの配信企画『村上学縁』の講師プロフィールでも紹介されています。

さらに、2017年の早稲田大学の公式インタビューでは、本人が中国で産婦人科医をしていたことを話しています。

つまり、単に医学を勉強したことがあるだけでなく、実際に医療の仕事に携わっていたんですね。

産婦人科は、妊娠や出産、女性の健康などに関わる分野です。

新しい命の誕生に関わる機会も多く、患者本人だけでなく家族の思いに触れる場面もあるでしょう。

一方で、毛無さんは医学部時代にICUで数多くの人の最期に立ち会ったことも明かしています。

生まれてくる命と、人生の終わり。

そうした経験が、後に『十六夜膳房』を書くきっかけになりました。

ただし、中国で卒業した医科大学の正式名称や、研修医として勤務していた病院名などは公表されていません。

早稲田大学大学院政治学研究科の修士課程を修了

中国で医療の仕事を経験した毛無さんは、その後、日本の早稲田大学大学院へ進学しました。

所属していたのは、政治学研究科の修士課程です。

2017年11月30日に公開された早稲田大学の公式サイトには、修士課程1年生だった徐真然さんのインタビューが掲載されています。

その中で毛無さんは、田中幹人先生のゼミに所属し、ジャーナリズム全般について研究していると話していました。

特に関心を持っていたのが、医療倫理や生命倫理です。

医療倫理は、医療現場で何を大切にするべきなのかを考える分野です。

例えば、患者自身の意思をどう尊重するか、命に関わる難しい選択をどう考えるかといった問題にも向き合います。

医療の仕事を経験していた毛無さんにとって、自分が現場で感じてきたことを、別の角度から考える学びだったのかもしれません。

医学からまったく関係のない分野へ進んだというよりも、これまでの経験を生かして、学びを広げていたように感じます。

好きな本はサルトルの『実存主義とは何か』

早稲田大学時代のインタビューでは、毛無さんの好きな本も紹介されています。

挙げていたのは、フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの『実存主義とは何か』でした。

この本では、人間の自由や選択、生き方などについて考えられています。

毛無さんは、自由には責任も伴うことを表したサルトルの言葉が印象に残っていると話していました。

少し難しく感じるテーマですが、私たちの日常にも関係する考え方です。

進学や就職、人との関わり方など、人生にはさまざまな選択があります。

そのときに何を選ぶか、選んだ結果とどう向き合うかは、誰にとっても身近な問題でしょう。

『十六夜膳房』にも、自分の人生を振り返り、過去の選択や後悔と向き合う人々が登場します。

学生時代からこうした哲学に関心を持っていたことを知ると、作品の世界観にも、どこか重なるものを感じますね。

もちろん、この本が小説の執筆に直接影響したと本人が説明しているわけではありません。

それでも、人間の生き方について考えることが好きだったという一面は伝わってきます。

学生時代は課題が忙しくて睡眠不足だった

毛無さんの大学生活には、少し親しみやすいエピソードもあります。

早稲田大学のインタビューでは、課題が忙しく、睡眠時間を十分に取れないことが悩みだと紹介されていました。

医療の仕事を経験してきた人でも、新しい分野の研究には苦労があったのでしょう。

また、大学の好きなところを聞かれると、自由な雰囲気に加えて、キャンパスのトイレがきれいなことも挙げています。

医療倫理や哲学について真面目に話していたかと思えば、こんな身近な話題も出てくるところが面白いですね。

さらに、韓国まで安くてかわいい服を買いに行くことや、お気に入りの靴下も紹介されていました。

難しい研究に取り組む一方で、ファッションも楽しんでいたようです。

こうした学生時代の様子を知ると、作家やプロデューサーという肩書きだけでは分からない、普段の毛無さんの姿が少し見えてきます。

毛無の学歴と経歴を時系列で紹介

これまでの学歴や仕事を、時系列で整理してみましょう。

  • 中国・上海で生まれ育つ
  • 中国の医科大学に進学し、卒業する
  • 産婦人科の研修医として働く
  • 2015年、中国の医学部時代の経験をもとに『十六夜膳房』を着想する
  • 大学院進学をきっかけに東京へ移住する
  • 2017年、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程1年生として在籍
  • 早稲田大学大学院の修士課程を修了する
  • 2019年、日本テレビへ新卒入社する

こうして並べてみると、医療の世界からテレビ業界へ進むまでに、いくつもの経験を積んできたことが分かります。

しかも、2017年には中国で小説『十六夜膳房』も出版しています。

医学を学び、大学院で研究し、作家として作品を発表し、テレビ局で働く。

一つの分野だけにとどまらないところが、毛無さんの大きな特徴ですね。

毛無は元産婦人科研修医!十六夜膳房が生まれたきっかけ

『十六夜膳房』は、亡くなった人が人生最後の食事を味わう、不思議な食堂を舞台にした物語です。

少し切ない設定ですが、作品の中心にあるのは、食べ物と大切な思い出とのつながりです。

実はこの物語、毛無さんが医療現場で経験した出来事から生まれました。

ICUで多くの人の最期に立ち会った経験

毛無さんは、2026年9月に発表されたドラマ化へのコメントで、小説が生まれた理由を明かしています。

きっかけになったのは、2015年に中国で医学を学んでいた頃、ICUで数多くの人の最期に立ち会った経験でした。

ICUは、重い病気や大きな手術の後など、特別な管理が必要な患者が治療を受ける集中治療室です。

医療の現場では、人の命を救うためにさまざまな努力が重ねられています。

それでも、すべての人が回復できるわけではありません。

毛無さんは、そうした現場で人々の最期に触れる中、あることに気づいたそうです。

それは、人生の終わりに食べたいと願う料理が、必ずしも豪華なものではないということでした。

最後に食べたいのはワンタンや甘酸っぱいリンゴだった

毛無さんによると、人生の最後に食べたいものとして心に残っていたのは、フォアグラやフカヒレのような高級料理ばかりではありませんでした。

むしろ、ワンタンや甘酸っぱいリンゴなど、身近な食べ物が多かったそうです。

考えてみると、私たちにも似たような経験があるかもしれません。

子どもの頃に家族が作ってくれた料理や、学校から帰って食べたおやつ。

特別なごちそうではなくても、食べると当時の風景まで思い出すものがありますよね。

大切なのは、料理そのものの値段や豪華さではなく、誰と、どんな時間を過ごしながら食べたかということなのでしょう。

毛無さんは、医療現場で触れたそうした記憶をもとに、『十六夜膳房』という物語を考えました。

死後の世界にある食堂で、人生の思い出と結びついた最後の一皿を食べる。

この設定には、医療の経験が深く関わっていたのです。

死後の食堂で人生を振り返る物語に

『十六夜膳房』の舞台は、現世と来世の間にある「黄泉の食堂」です。

そこには、亡くなった人々が人生の心残りを抱えて訪れます。

食堂で待っているのは、料理人の孟婆。

孟婆は、その人の人生で忘れられない料理を作り、食事を通して思い出と向き合う時間を与えます。

登場する人々は、誰もが立派な人生を送ってきたわけではありません。

大切な人に気持ちを伝えられなかったり、過去の選択を後悔していたりします。

でも、物語はそんな人たちを責めません。

最後の一皿を通して、その人が生きてきた時間をそっと受け止めていくのです。

毛無さんが実際に経験した医療現場での出来事と、作品のすべてのエピソードが同じというわけではありません。

それでも、人の最期に触れた経験が、物語の大きな土台になっていることは確かです。

十六夜というタイトルに込められた意味

『十六夜膳房』というタイトルにも、毛無さんの思いが込められています。

もとになったのは、中国にある「十五的月亮十六圓」という言葉です。

これは、満月は十五夜ではなく、十六夜にこそ本当に丸くなるという意味です。

毛無さんは、この言葉を人生に重ねました。

人は誰でも、後悔したことや、思いどおりにならなかったことを抱えながら生きています。

それでも、後悔があるからこそ、その人らしい人生が形づくられることもあるのでしょう。

『十六夜膳房』には、後悔のある人生も、そのまま受け止めたいという思いが込められています。

この考え方を知ってから作品を見ると、食堂で振る舞われる一皿にも、より深い意味を感じられそうですね。

毛無はなぜ日本テレビに入社した?医療の仕事からテレビ業界へ

毛無さんの経歴で、特に意外なのが日本テレビへの入社です。

中国の医科大学を卒業して産婦人科の研修医として働いていたのに、なぜ日本のテレビ局で仕事をすることになったのでしょうか。

その理由をたどると、毛無さんの好きなものへの思いや、思い切りのよさが見えてきます。

小説家として生活する難しさを感じていた

毛無さんは、2017年に中国で『十六夜膳房』を出版しました。

2019年には韓国語版も出版されましたが、本人によると、当時は期待していたような成功にはつながらなかったそうです。

2026年のドラマ化に寄せたコメントでは、小説家として生活していくことは難しいと感じていたと振り返っています。

本を出版するというのは、大きな成果ですよね。

それでも、出版できたからといって、執筆だけで安定して暮らせるとは限りません。

毛無さんも、作家として活動を続けることと、生活のために新しい仕事を見つけることの間で、将来を考えていたのでしょう。

そんな時期に、日本への進学やテレビ業界への道がつながっていきました。

後に本人は、日本テレビでの日々について、とても満ち足りていたと話しています。

小説家としての活動が思うように進まなかったことが、結果的には別の夢を叶えるきっかけにもなったのですね。

大好きな月曜から夜ふかしを作る側になりたかった

毛無さんが日本テレビに興味を持った理由として、特に有名なのが『月曜から夜ふかし』です。

もともと番組が大好きで、その思いが来日や就職につながったと紹介されています。

『月曜から夜ふかし』といえば、村上信五さんとマツコ・デラックスさんが出演する人気バラエティ番組。

街の人々のちょっと変わった発言や、身近な出来事を独特の切り口で取り上げています。

毛無さんは、そんな番組に魅力を感じていたのでしょう。

日本テレビの公式記事では、番組が好きだったことから来日し、日本テレビに入社したという経緯が紹介されています。

中国で医療の仕事をしていた人が、日本のバラエティ番組を作りたいと思って行動を起こす。

しかも、本当にその番組のスタッフになるのですから、すごい話ですよね。

好きなものをただ楽しむだけでなく、自分もその世界に関わろうとするところに、毛無さんらしさが感じられます。

2019年に日本テレビへ新卒入社

毛無さんは、2019年に日本テレビへ新卒入社しました。

早稲田大学大学院で修士課程を修了した後のことです。

入社後は、『月曜から夜ふかし』をはじめ、さまざまな番組の制作に携わってきました。

公式プロフィールでは、次の番組が紹介されています。

  • 『月曜から夜ふかし』
  • 『満天☆青空レストラン』
  • 『24時間テレビ』

どれも日本テレビを代表する番組ですね。

『月曜から夜ふかし』では街の人々の個性を取り上げ、『満天☆青空レストラン』では日本各地の食材や生産者の魅力を伝えています。

番組によって内容は違いますが、人々の暮らしや思いを届けるという点には共通するものがあります。

医療を学び、大学院でジャーナリズムを研究してきた毛無さんにとっても、さまざまな人の話を聞き、その魅力を伝える仕事はやりがいがあったのかもしれません。

ただし、それぞれの番組でどんな業務を担当したのか、すべてが詳しく公表されているわけではありません。

日本テレビでの仕事は第二の夢になった

毛無さんは、『十六夜膳房』のドラマ化にあたって、日本テレビでの生活を振り返っています。

そのコメントから伝わってくるのは、テレビ局での仕事に充実感を持っていたということです。

小説家としての生活が難しくなり、別の道へ進んだものの、そこで新しいやりがいに出会ったのでしょう。

そして、その仕事を続ける中で、思いがけない出来事が起こります。

中国で出版した自分の小説が、日本テレビでドラマ化されることになったのです。

もともと『月曜から夜ふかし』が好きで入社したテレビ局で、今度は原作者として自分の作品が映像になる。

過去に選んだ道が、何年も経ってから思わぬ形でつながったというのが、とても印象的です。

毛無は月曜から夜ふかしの徐P!中国ロケを企画したエピソード

毛無さんのテレビ制作者としての仕事で、特に知られているのが『月曜から夜ふかし』の中国ロケです。

番組では本名の徐真然さんとして活動し、「徐P」という愛称でも紹介されています。

自分が大好きだった番組のスタッフになっただけでなく、故郷の中国を舞台に新しい企画まで実現させました。

中国から夜ふかしを自ら企画した

2022年10月17日放送の『月曜から夜ふかし』2時間スペシャルで、「中国から夜ふかし」という企画が放送されました。

この企画を立ち上げたのが、徐真然プロデューサーです。

番組スタッフが日本で街頭インタビューをしていると、『月曜から夜ふかし』が好きだと話す中国出身の人に出会うことがあったそうです。

そこで、実際に中国へ行ってみたら、どんな人に出会えるのだろうと考えたのでしょう。

中国で初めてのロケが行われることになりました。

ただ、当時は新型コロナウイルスの影響で海外への渡航に制限があった時期です。

日本人スタッフが入国しにくい状況だったため、徐プロデューサーと現地カメラマン2人で撮影を進めました。

中国へ入国する際には、10日間の隔離生活もあったそうです。

準備も撮影も簡単ではなかったと思いますが、毛無さんは故郷でのロケを実現させました。

上海の下町で子どもの頃の思い出がよみがえる

中国ロケでは、毛無さんの故郷である上海も訪れました。

なかでも印象的なのが、本人が子どもの頃から暮らしていた「弄堂(ノンタン)」という住宅街で取材したことです。

弄堂は、上海の昔ながらの路地や住宅街を表す言葉です。

高層ビルや華やかな観光地とは違い、地元の人々の日常が感じられる場所でもあります。

毛無さんは、そんな自分にとってなじみ深い場所で、街の人々の個人的なニュースを聞く企画に取り組みました。

自分が育った街で、日本のテレビ番組を作る。

以前は想像していなかった光景だったかもしれませんね。

本人も、生まれ育った中国で『月曜から夜ふかし』を作る夢が叶ったと喜びを語っています。

さらに、日本の視聴者に上海の人々のリアルな暮らしを感じてほしいという思いも伝えていました。

故郷をよく知っているからこそ、観光地だけでは見えてこない街の魅力も紹介したかったのでしょう。

中国でも村上信五やマツコ・デラックスが知られていた

ロケ中、徐プロデューサーが驚いたことの一つが、中国での番組の知名度でした。

『月曜から夜ふかし』のマイクを持って街を歩いていると、番組を知っている人から声をかけられることが何度もあったそうです。

しかも、村上信五さんやマツコ・デラックスさんだけではありません。

フェフ姉さんやジャガーさんなど、番組でおなじみの人物まで知られていたといいます。

毛無さんは、こうした反応をとてもうれしく感じたと話していました。

自分が好きだった日本の番組が、故郷でも楽しまれている。

それを実際に目にできたことは、きっと特別な経験だったのでしょう。

このロケでは、上海の街の人だけでなく、中国各地のユニークな発明家も取材しています。

北京近郊や河北省まで足を運び、個性的な人々を紹介しました。

日本の『月曜から夜ふかし』らしい企画を、中国でも楽しめる形にしたところが面白いですね。

第2弾では徐P本人が中国で有名人に

「中国から夜ふかし」は好評だったようで、2023年4月17日には第2弾が放送されました。

このとき、徐プロデューサーに思いがけない出来事が起こります。

上海で街頭インタビューを始めたところ、現地の人から徐さんだと気づかれたのです。

前回の放送を見た人たちの間で、徐プロデューサー本人の名前も知られるようになっていました。

さらに、取材を始めてから約20分後にはSNSで情報が広まり、インタビューを希望する人々の行列までできたそうです。

日本テレビの公式記事でも、この出来事が紹介されています。

番組を作るために中国へ戻ったスタッフが、今度は街の人から声をかけられる存在になっていたわけですね。

毛無さん自身も驚いたのではないでしょうか。

視聴者として大好きだった番組に入社し、故郷で新しい企画を実現する。

さらに、その企画を通じて中国の人々にも親しまれるようになる。

こうした歩みは、毛無さんの行動力を感じさせるエピソードです。

天津や広州でも中国ロケを続けていた

「中国から夜ふかし」は、上海での取材だけで終わったわけではありません。

その後も中国各地でロケが行われ、天津や広州などが取り上げられています。

広州では、街の人々の個性的な生活や、食文化、方言についても調査していました。

広東語の独特な響きや、地元ならではの食べ物の話題など、日本の視聴者にとって新鮮な内容も多かったようです。

日本テレビの公式記事でも、徐プロデューサーが広州を取材先に選んだことが紹介されています。

こうした企画には、中国と日本の両方を知る毛無さんの経験が生かされているのでしょう。

中国の文化をただ珍しいものとして紹介するのではなく、そこに暮らす人々の個性や面白さを伝えているところが、『月曜から夜ふかし』らしいですね。

毛無と村上信五の関係は?村上学縁では講師として出演

毛無さんは『月曜から夜ふかし』の制作を通して、村上信五さんとも仕事上のつながりがあります。

さらに2024年には、村上さんが手がける配信企画に講師として登場しました。

番組スタッフという立場だけでなく、自分の知識や経験を伝える活動もしているんですね。

村上学縁で中国の日本エンタメについて講義

2024年7月15日、毛無さんは『村上学縁 ClassⅢ』に講師として登場しました。

講座のテーマは「中国における日本エンタメの観察」です。

中国で生まれ育ち、日本のテレビ業界で働いてきた毛無さんには、ぴったりのテーマですよね。

中国で日本のエンタメがどのように楽しまれているのか。

日本と中国のエンタメ文化には、どんな共通点や違いがあるのか。

そうした話題を扱う企画として紹介されています。

公式サイトには、徐真然さんのプロフィールも詳しく掲載されており、中国の医科大学卒業や早稲田大学大学院修了、日本テレビでの担当番組などが確認できます。

村上信五との関係は仕事上のつながり

村上信五さんは『月曜から夜ふかし』のMCを務めており、毛無さんは番組制作に携わってきました。

さらに『村上学縁』でも共演しています。

ただし、プライベートでも親しい間柄なのか、普段どの程度交流しているのかについては、詳しい情報が公表されていません。

確認できるのは、番組制作や配信企画を通じた仕事上の関係です。

一方で、毛無さんがテレビ番組を作るだけでなく、講師として自分の経験を話している点は興味深いところです。

中国の医療現場で働き、日本の大学院で研究し、テレビ業界に入ったという経歴は、なかなか聞けるものではありません。

中国と日本の文化をつなぐ役割でも、毛無さんならではの経験が生かされているのでしょう。

毛無の性格や人柄は?学生時代の発言や趣味から見える一面

毛無さんがどんな性格なのかも、気になるところですよね。

普段の生活やプライベートについて詳しく話したインタビューは多くありませんが、早稲田大学時代の発言や仕事でのエピソードから、少しずつ人柄が見えてきます。

ここでは、確認できる出来事をもとに、毛無さんの人物像を考えてみます。

好きなことには思い切って挑戦するタイプ?

毛無さんの経歴からまず感じるのは、好きなことに向かって行動する力です。

中国で産婦人科の研修医として働いた後、日本へ渡り、早稲田大学大学院に進学しています。

そして、大好きだった『月曜から夜ふかし』の制作に携わるため、日本テレビに入社しました。

その後は、自ら「中国から夜ふかし」を企画し、故郷の上海で撮影を実現させています。

好きな番組を見るだけでなく、自分も作る側になり、さらに新しい企画を生み出しているんですね。

一つの道にこだわりすぎず、自分の関心に合わせて進路を変えてきたところも印象的です。

もちろん、普段の性格まで積極的だと断定できるわけではありません。

それでも、これまでの行動を見る限り、興味を持ったことに自分から飛び込んでいく一面がありそうです。

真面目だけどユーモアもある

早稲田大学時代のインタビューからは、真面目さとユーモアの両方が感じられます。

大学院では医療倫理や生命倫理を研究し、好きな本にはサルトルの哲学書を挙げていました。

人間の命や生き方について、じっくり考えることが好きだったのでしょう。

一方で、大学の好きなところを聞かれると、トイレがきれいなことを挙げるなど、少し意外な答えもしています。

こうした飾らない発言には、親しみやすさを感じますね。

また、韓国でかわいい服を探したり、お気に入りの靴下を紹介したりと、ファッションを楽しむ一面もありました。

難しい研究をする大学院生というだけでなく、日常の小さな楽しみも大切にしていたようです。

趣味は料理と猫を吸うこと

毛無さんの趣味は、料理と「猫を吸うこと」です。

これは『村上学縁』の公式プロフィールに書かれています。

猫を吸うというのは、猫の毛並みに顔を近づけたり、ふわふわした匂いを楽しんだりすることを、愛猫家がユーモラスに表現した言葉です。

猫好きの方なら、なんとなく分かる感覚かもしれませんね。

そして、もう一つの趣味が料理。

こちらは『十六夜膳房』の作者らしいと感じる部分です。

作品では、一皿の料理が大切な思い出を呼び起こす役割を持っています。

毛無さん自身も料理が好きだと知ると、食べ物を中心にした物語を書いたことにも親しみを感じます。

ただし、趣味の料理が作品の設定に直接影響したかどうかは、本人が詳しく説明しているわけではありません。

また、現在猫を飼っているかどうかも確認できていません。

それでも、料理と猫という身近な趣味を知ると、医療やテレビ制作といった専門的な経歴とは少し違う一面が見えてきます。

周囲への感謝を大切にしている

毛無さんの原作者コメントで印象に残るのが、作品を支えてくれた人たちへの感謝です。

『十六夜膳房』が日本でドラマ化されることになった際、中国で出版に関わった関係者やポプラ社、長年読み続けてくれた読者へ感謝の気持ちを伝えていました。

また、日本テレビの制作チームについても、強く信頼していることを明かしています。

自分の小説が映像化されるという大きな出来事ですが、毛無さんは、自分一人の成果として語っているわけではありません。

作品に関わってきた人々の存在も大切にしていることが伝わってきます。

こうしたコメントからは、周囲の人たちへの感謝を忘れない姿勢が感じられますね。

同僚からは「徐ちゃん」と呼ばれている

毛無さんは、日本テレビの鈴間広枝プロデューサーから「徐ちゃん」と呼ばれています。

2026年のドラマ化発表時、鈴間プロデューサーは、会社の後輩がこれほど心を動かす小説を書いていたことに驚いたと語りました。

中国語の原作を読んで、何度も胸を打たれたそうです。

このエピソードからは、テレビ局の同僚としての毛無さんと、小説家としての毛無さんという、二つの顔が見えてきます。

仕事で身近に接していた後輩が、実は海外で出版された小説の作者だった。

鈴間プロデューサーにとっても、意外な発見だったのでしょう。

「徐ちゃん」という呼び方にも、親しみが感じられます。

ただし、同僚全員からそう呼ばれているのか、職場でどんな性格だと評価されているのかまでは分かりません。

あくまで、鈴間プロデューサーとの関係がうかがえるエピソードとして受け止めたいですね。

十六夜膳房のドラマ化で毛無が再び注目された理由

毛無さんが小説『十六夜膳房』を中国で出版したのは、2017年のことでした。

それから約9年が経ち、2026年10月に日本テレビでドラマ化されました。

しかも、原作者は日本テレビで番組制作に携わってきた人物です。

この少し不思議なつながりが、ドラマ化をより印象的なものにしています。

原作は中国で累計1億回以上読まれた人気作品

『十六夜膳房』は、中国のStoryBookで「地獄膳房」シリーズとして連載されました。

出版社によると、連載中の累計閲覧数は1億回を超え、読者数も600万人を突破しています。

その後、2017年に中国で書籍化され、2019年には韓国語版も出版されました。

かなり多くの人に読まれていた作品だったんですね。

ただ、閲覧数1億回という数字は、1億人が読んだという意味ではありません。

同じ人が複数回閲覧した分も含む数字です。

それでも、連載の段階から大きな関心を集めていたことが分かります。

さらに、韓国ではBTSのVさんが紹介したことで話題になりました。

aespaのKARINAさんが紹介した作品としても知られています。

中国で生まれた物語が韓国でも読まれ、やがて日本でドラマ化される。

国を越えて作品が広がっていったことが分かります。

中村蒼主演で世界初の映像化

2026年10月12日、日本テレビ系でドラマ『十六夜膳房』の放送が始まりました。

主演は中村蒼さんです。

中村さんが演じるのは、死後の世界にある「黄泉の食堂」で、亡くなった人々に最後の一皿を振る舞う料理人・孟婆。

さらに、渋谷凪咲さんが白猫の白無常の声を担当し、秋谷郁甫さんが閻魔王を演じています。

ドラマには、中国の冥界に関する伝承をもとにした個性的なキャラクターも登場します。

原作が持つ少し不思議で温かな世界観を、日本の俳優や制作スタッフがどのように表現するのかも見どころです。

今回のドラマは、原作にとって世界初の映像化作品となりました。

毛無さんは、中国の民俗や神鬼に関する物語なので、日本の視聴者にはなじみの薄い部分もあるかもしれないと語っています。

その一方で、食事や愛情に込められた思いは、国が違っても通じ合うものだと考えているようです。

文化の違いを越えて楽しんでもらいたいという、原作者としての思いが伝わってきます。

自分が働くテレビ局で小説がドラマになった

今回のドラマ化で、何より印象的なのは毛無さん自身の経歴です。

中国で『十六夜膳房』を出版したものの、作家として生活することの難しさを感じ、日本へ渡りました。

そして、日本テレビに入社して大好きな『月曜から夜ふかし』などの制作に携わるようになります。

テレビの仕事にやりがいを感じていたところ、自分が書いた小説がドラマ化されることになったのです。

しかも、制作するのは自分が働く日本テレビでした。

一度は作家としての道から離れたように見えても、過去に書いた作品が、長い時間を経て新しい形で実を結んだんですね。

『十六夜膳房』は、人生の後悔や心残りを受け止める物語です。

毛無さん自身も、さまざまな選択を重ねながら、今の仕事や創作活動につながってきました。

その歩みを知ると、作品のテーマがより身近に感じられます。

毛無の現在の活動と今後の展望

『十六夜膳房』のドラマ化によって、毛無さんは日本でも小説家として知られるようになりました。

2026年には、日本語版小説の発売も予定されています。

テレビ番組の制作に携わってきた毛無さんにとって、作家としての活動が再び注目される機会になりそうです。

日本語版の十六夜膳房が2026年11月に発売予定

ポプラ社から、『十六夜膳房』の日本語版上巻が発売される予定です。

2026年10月30日時点で発表されている情報は、次のとおりです。

項目内容
書名『十六夜膳房』(上)
著者毛無
翻訳泉京鹿
出版社ポプラ社
発売予定日2026年11月11日
本体価格1,900円(税別)
下巻2027年発売予定

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今回の日本語版は、毛無さんにとって日本での小説デビュー作となります。

中国で出版されてから約9年。

日本のテレビ局で働くようになった毛無さんが、今度は日本の読者に自分の小説を届けることになりました。

ドラマを見て原作に興味を持った方にとっても、うれしい知らせですね。

下巻については2027年の発売が予定されていますが、詳しい日程などは今後の発表を確認するとよさそうです。

新しい小説を書く予定はある?

『十六夜膳房』が注目されると、毛無さんの次の作品も気になりますよね。

ただ、2026年10月30日時点では、新作小説のタイトルや発売日など、確定した公式発表は確認できていません。

今後も小説家として活動を続けるのか、テレビ番組制作を中心に仕事をしていくのかについても、詳しくは分かっていません。

それでも、毛無さんにはさまざまな経験があります。

医療の現場で命と向き合い、大学院では倫理やジャーナリズムを研究し、テレビでは人々の日常を伝える仕事をしてきました。

さらに、中国と日本の両方で暮らしてきたことも、作品づくりの中で独自の視点につながるかもしれません。

今後、こうした経験が新しい物語になることも期待したくなりますね。

中国と日本をつなぐ活動にも期待

毛無さんは『月曜から夜ふかし』の中国ロケを企画し、日本の視聴者に中国の人々の日常を紹介してきました。

また、『村上学縁』では、中国で日本のエンタメがどのように楽しまれているかというテーマで講師を務めています。

小説『十六夜膳房』も、中国で生まれた作品が韓国で出版され、日本でドラマ化されるという広がりを見せました。

こうして見ると、毛無さんは仕事の中でも創作の中でも、中国と日本の文化をつなぐ役割を果たしてきたように感じます。

もちろん、今後どのような企画や作品に携わるかは、まだ分かりません。

ただ、中国と日本の両方を知っている毛無さんだからこそ、今後も面白い仕事が生まれるかもしれませんね。

十六夜膳房の毛無についてよくある質問

ここまで、毛無さんの学歴や経歴、人柄について紹介してきました。

最後に、特に気になりやすい疑問を整理しておきます。

毛無は日本人?中国人?

毛無さんは中国・上海出身です。

中国の医科大学を卒業し、産婦人科の研修医として働いた後、日本へ渡りました。

現在の法的な国籍については公式資料に明記されていないため、出生地だけで断定することはできません。

毛無の本名は?

本名は徐真然(ジョ・シンゼン)さんです。

作家としては毛無(マオ・ウー)という名前を使い、日本テレビでは本名で活動しています。

番組では「徐P」と呼ばれることもあります。

毛無は早稲田大学出身なの?

毛無さんは、早稲田大学大学院政治学研究科の修士課程を修了しています。

2017年には修士課程1年生として在籍しており、医療倫理や生命倫理を研究していました。

中国では医科大学を卒業しています。

毛無は医師だったの?

中国の医科大学を卒業した後、産婦人科の研修医として働いた経歴があります。

早稲田大学のインタビューでも、以前は中国で産婦人科医をしていたと本人が話しています。

ただし、現在も医師として働いているという情報は確認できません。

毛無は月曜から夜ふかしのスタッフなの?

毛無さんは、日本テレビの『月曜から夜ふかし』でプロデューサーとして活動してきました。

特に、自ら企画した「中国から夜ふかし」が知られています。

上海や天津、広州など、中国各地でのロケにも関わってきました。

毛無と村上信五はどんな関係?

『月曜から夜ふかし』での仕事上のつながりがあり、2024年には『村上学縁』でも共演しています。

ただし、プライベートでどの程度親しいのかについては、詳しい情報が公表されていません。

毛無のSNSはある?

ポプラ社の著者プロフィールでは、Instagramアカウント「@mao__wu」が紹介されています。

作品や今後の活動について知りたい場合は、出版社や日本テレビの公式情報と合わせて確認するとよさそうです。

まとめ|十六夜膳房の毛無は元産婦人科研修医から日テレ社員になった異色の小説家

『十六夜膳房』の作者・毛無さんは、中国・上海出身で、本名を徐真然という小説家です。

中国の医科大学を卒業して産婦人科の研修医として働いた後、日本へ渡り、早稲田大学大学院政治学研究科の修士課程を修了しています。

そして2019年、日本テレビへ入社しました。

大好きだった『月曜から夜ふかし』の制作に携わり、自ら「中国から夜ふかし」を企画して故郷で撮影する夢も叶えています。

これまでの歩みを振り返ると、毛無さんの経歴は次のようになります。

  • 中国・上海で生まれ、医科大学を卒業して産婦人科の研修医として勤務
  • 医学部時代の経験から『十六夜膳房』を執筆し、2017年に中国で出版
  • 日本へ渡り、早稲田大学大学院でジャーナリズムや医療倫理を研究
  • 2019年に日本テレビへ入社し、番組制作に携わる
  • 『月曜から夜ふかし』で中国ロケを企画し、故郷の上海でも撮影
  • 2024年には村上信五さんの『村上学縁』で講師を務める
  • 2026年には『十六夜膳房』が日本でドラマ化され、日本語版小説の出版も決定

なかでも印象的なのは、一度は小説家として生活することの難しさを感じながら、別の道で新しいやりがいを見つけたことです。

そして、その後になって、過去に書いた作品が自分の働くテレビ局でドラマになりました。

遠回りに見えた経験が、思いがけない形でつながったんですね。

『十六夜膳房』には、後悔のある人生も、そのまま受け止めたいという思いが込められています。

毛無さん自身も、医療、研究、小説、テレビ制作と、さまざまな道を歩んできました。

その経験の一つひとつが、現在の仕事や創作活動につながっているように感じます。

ドラマ化をきっかけに日本でも注目されるようになった毛無さん。

これから作家として、そしてテレビ制作者として、どんな作品を届けてくれるのか楽しみですね。

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