クリント・イーストウッド主演の映画『シノーラ』は、土地を奪われた人々と大地主の争いに、ひとりの元賞金稼ぎが巻き込まれていく西部劇です。
1972年に公開された作品で、監督は『荒野の七人』や『大脱走』で知られるジョン・スタージェス。
名優と名監督が組んだ映画ですが、イーストウッドの代表作と比べると、少し知名度が低いかもしれません。
実際に評判を見てみると、「イーストウッドがとにかく格好いい」「機関車が酒場に突っ込む場面が面白い」といった声がある一方、「ストーリーが単純」「主人公の考えがわかりにくい」という感想も見られます。
それでも、この映画には妙に忘れがたい魅力があります。
主人公のジョー・キッドは、最初から弱い立場の人々を助けようとするヒーローではありません。
むしろ、土地を取り戻そうとする人々を追いかけるために、裕福な地主に雇われます。
ところが、雇い主の残酷なやり方を目にして、少しずつ考えを変えていくんですね。
しかも、最後は悪党を倒してすべて解決、という単純な話でもありません。
ジョーが選んだ行動は本当に正しかったのか。土地を奪われた人々は救われたのか。
見終わってから考えたくなる部分も残っています。
そして、何より印象的なのが終盤の機関車です。
銃撃戦が中心だった映画で、突然、蒸気機関車が酒場へ突っ込んでいくのですから、かなり驚かされます。
この記事では、映画『シノーラ』のあらすじを結末までネタバレありで振り返りながら、ジョーの心境の変化やラストシーンの意味を考えていきます。
さらに、鑑賞者の口コミで評価が分かれる理由や、公開当時の批評、銃撃戦の見どころ、山田康雄による日本語吹替の魅力についても詳しく紹介します。
※ここからは映画『シノーラ』の重要な展開や結末に触れています。未鑑賞の方はご注意ください。
映画『シノーラ』はどんな作品?基本情報と登場人物
『シノーラ』は、アメリカ南西部を舞台に、土地の所有権を巡る争いを描いた西部劇です。
荒野での追跡劇や銃撃戦が見どころですが、その背景には、法律が必ずしも公平に働くとは限らないという問題もあります。
まずは作品の基本情報と登場人物を確認しておきましょう。人物同士の関係がわかると、主人公ジョーが途中で立場を変える理由も理解しやすくなります。
『シノーラ』の作品情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 邦題 | シノーラ |
| 原題 | Joe Kidd |
| 製作年 | 1972年 |
| 日本公開日 | 1972年10月21日 |
| 製作国 | アメリカ |
| 監督 | ジョン・スタージェス |
| 脚本 | エルモア・レナード |
| 音楽 | ラロ・シフリン |
| 撮影 | ブルース・サーティース |
| 主演 | クリント・イーストウッド |
| ジャンル | 西部劇・アクション |
| 上映時間 | 約88分(資料によって94分表記) |
上映時間は資料によって違いがあり、約88分とするものと94分とするものがあります。
作品の内容を調べる際は、配給元や映画データベースなど、参照する資料によって表記が異なる点を覚えておくとよさそうです。
監督のジョン・スタージェスは、男たちの駆け引きやアクションを描くのが得意な監督です。
『荒野の七人』では個性豊かなガンマンたちの活躍を、『大脱走』では捕虜たちによる脱走劇を見せてくれました。
『シノーラ』でも、相手の出方を探りながら少しずつ対立が深まっていく展開に、その持ち味を感じられます。
脚本を手がけたのは、犯罪小説や西部劇で知られるエルモア・レナードです。
本作にはわかりやすい悪役が登場しますが、主人公や土地を取り戻そうとする指導者にも、問題のある行動が見られます。
善人と悪人を簡単に分けられないところも、この作品の特徴です。
主な登場人物とキャスト
| 登場人物 | 俳優 | 役柄 |
|---|---|---|
| ジョー・キッド | クリント・イーストウッド | 元賞金稼ぎで、現在は牧場を営む男 |
| フランク・ハーラン | ロバート・デュヴァル | 土地を巡る争いに介入する裕福な大地主 |
| ルイス・チャマ | ジョン・サクソン | 奪われた土地を取り戻そうとする指導者 |
| ヘレン・サンチェス | ステラ・ガルシア | チャマの活動に関わる女性 |
| ラマー・シムズ | ドン・ストラウド | ハーランに雇われた危険なガンマン |
| オリン・ミンゴ | ジェームズ・ウェインライト | 長距離射撃を得意とする狙撃手 |
| ロイ・ガノン | ポール・コスロ | ハーランの部下 |
| ミッチェル保安官 | グレゴリー・ウォルコット | シノーラの町の保安官 |
主人公のジョーは、銃の腕が立つ一方、法律や権力に素直に従う人物ではありません。
自分の生活を大切にしていて、関係のない争いにはなるべく首を突っ込みたくないと考えています。
一方、ロバート・デュヴァル演じるハーランは、お金も社会的な地位もある大地主です。
一見すると落ち着いた紳士ですが、自分に逆らう相手には容赦がありません。
そしてチャマは、土地を奪われた人々のために戦う指導者です。
彼の訴えにはもっともな理由がありますが、その戦い方には危ういところもあります。
この三人が、それぞれ異なる考え方で動いていることが、物語の中心になっています。
原題『Joe Kidd』と邦題『シノーラ』の違い
本作の原題は『Joe Kidd』です。
主人公の名前がそのままタイトルになっています。
それに対して、日本では物語の舞台となる町の名前を使った『シノーラ』という邦題がつけられました。
主人公の活躍を前面に出した原題と、西部の町を印象づける邦題では、少し雰囲気が違いますね。
実は、アメリカ映画協会(AFI)の作品記録によると、「Sinola」は製作段階でも使われていたタイトルです。
そのため、日本でまったく新しく考えられた名前というわけではありません。
そして映画を最後まで見ると、この邦題が意外としっくりきます。
物語はシノーラの法廷で始まり、最後も同じ町の法廷で決着を迎えるからです。
町そのものが、法律や権力、そして人々の対立を象徴する場所になっているようにも感じられます。
参考:アメリカ映画協会(AFI)『Joe Kidd』作品記録
映画『シノーラ』のあらすじを結末までネタバレ解説
ここからは、映画のストーリーを最初から最後まで振り返っていきます。
ジョーは最初から土地を奪われた人々の味方ではありません。むしろ彼らを追うために雇われ、途中で大地主ハーランに反発するようになります。
なぜジョーは考えを変えたのでしょうか。そして最後に、なぜチャマを保安官へ引き渡したのでしょうか。
出来事を順番に見ていくと、ジョーの行動には彼なりの筋が通っていることがわかります。
冒頭:法廷に現れたチャマと土地を巡る争い
物語の舞台は、20世紀初頭のニューメキシコ州にあるシノーラという町です。
主人公のジョー・キッドは、かつて賞金稼ぎとして活動していましたが、現在は牧場を営んでいます。
銃の腕は確かですが、法律をきちんと守る模範的な市民というわけではありません。
飲酒による騒ぎや密猟などで逮捕され、裁判を受けることになります。
ところが、その法廷に突然、ルイス・チャマ率いるメキシコ系住民たちが押し入ってきます。
チャマたちは、先祖代々受け継いできた土地を白人の地主たちに奪われたと訴えていました。
彼らの言い分では、土地の所有権を証明する書類が火災で失われたため、正当な権利を認めてもらえなくなったのです。
長年暮らしてきた土地なのに、書類がないという理由で自分たちのものではなくなってしまう。
チャマたちが怒るのも無理はないと感じられる状況です。
しかし、法廷では彼らの主張が受け入れられません。
怒ったチャマは土地関係の書類に火をつけ、さらに判事を人質にしようとします。
ところが、ジョーが判事を連れ出し、危険から逃がそうとします。
その後、チャマの仲間ナコが判事を探しに現れ、ジョーに銃を向けます。
ジョーはショットガンで応戦し、ナコを撃ち殺してしまいます。
こうしてジョーは、思いがけず土地争いに巻き込まれます。
ただし、この段階ではチャマたちを積極的に追いかけるつもりはありません。
町の保安官が追跡隊を組織しても、ジョーは参加を断ります。
自分には関係のない争いだと考えていたからです。
この少し冷めた態度が、ジョーという人物らしいところですね。
ハーランの登場:ジョーが1,000ドルで雇われた理由
しばらくすると、シノーラの町に裕福な大地主フランク・ハーランがやって来ます。
ハーランは愛人のエルマや、腕利きの銃撃手たちを連れていました。
表向きは山で狩りをするために訪れたように振る舞っていますが、本当の狙いはチャマを捕まえることです。
ハーランは、まずジョーの罰金を肩代わりして自由の身にします。
そして、山の案内役として500ドルの報酬を提示します。
しかし、ジョーはハーランの本当の目的を見抜いていました。
狩りの対象が動物ではなくチャマであることに気づき、依頼を断ります。
ところが、牧場へ戻ったジョーは、そこでひどい知らせを聞きます。
チャマの仲間たちが馬を盗み、牧場で働くエミリオを傷つけていたのです。
これで事情が変わりました。
ジョーにとって、馬は生活に欠かせない大切な財産です。
しかも、信頼している仲間まで危害を加えられていました。
チャマたちを追う理由ができたジョーは、町へ戻ってハーランに協力を申し出ます。
ただし、最初の条件のままでは引き受けません。
報酬を倍の1,000ドルに引き上げるよう要求するのです。
ここが、いかにもジョーらしいところです。
自分の事情で動くことになったとはいえ、相手が金持ちなら、きっちり高い報酬を要求します。
決してお人好しではありません。
ただ、金をもらったからといって、何でも言うことを聞く男でもないんですね。
この性格が、後半のハーランとの対立につながっていきます。
ハーランの本性:無抵抗の相手まで殺す冷酷さ
ジョーの案内で、ハーランたちはチャマの行方を追って山へ向かいます。
その途中で、ジョーから奪った馬を連れているチャマの仲間たちを発見します。
ハーランは彼らにチャマの居場所を尋ねますが、誰も答えようとしません。
すると、部下に命じて銃を撃たせます。
しかも、反撃する力を失った相手まで殺してしまうのです。
ここで、ハーランの本当の恐ろしさが見えてきます。
彼は正々堂々と勝負するガンマンではありません。
自分の邪魔になる相手なら、たとえ無抵抗でも容赦しない人物です。
ジョーも、こうしたやり方には納得していない様子を見せます。
やがて一行は、ヘレン・サンチェスという女性の小屋にたどり着きます。
ジョーは、彼女がチャマの仲間であることを知っています。
しかし、そのことをハーランには教えません。
チャマを追うために雇われているのに、ヘレンの身元は黙っている。
このあたりから、ジョーがハーランの考えに完全には同調していないことが伝わってきます。
一方のヘレンは、ハーランに協力しているジョーに反感を抱いています。
土地を奪われた人々の事情を知っている彼女からすれば、ジョーも権力者に加担する男に見えたのでしょう。
二人の関係は、決してよい形で始まるわけではありません。
村人を人質にするハーランとジョーの決別
追跡隊は、山のふもとにあるメキシコ系住民の村へ到着します。
チャマたちは周囲の高台から攻撃を仕掛けますが、なかなか捕まりません。
そこでハーランは、村人たちを人質に取るという恐ろしい方法を選びます。
そして、チャマが翌朝までに投降しなければ、村人を5人ずつ処刑すると宣言するのです。
チャマ本人ではなく、彼を支持している人々を殺すと脅すわけですから、あまりにもひどいやり方です。
ジョーも、これには我慢できなくなります。
ハーランとの関係は悪化し、ついには解雇を告げられます。
さらに、部下のラマーがジョーを挑発します。
ラマーは特製の銃を持つ危険な男ですが、ジョーは相手の挑発に乗って早撃ち勝負をするわけではありません。
ライフルの銃床でラマーの喉を強打し、その場を切り抜けます。
それからジョーは、人質の村人たちが閉じ込められている教会へ入ります。
ヘレンは、チャマがきっと村人を助けに来ると信じていました。
しかし、時間が過ぎてもチャマは現れません。
ここで、チャマに対する見方も少し変わってきます。
土地を取り戻すために戦うという彼の目的は理解できます。
けれど、その運動を支える村人たちが殺されそうになっているのに、助けに来ないのはどうなのでしょうか。
ハーランの残酷さだけでなく、チャマの指導者としての責任も問われる展開になっています。
教会からの脱出とラマーの最期
ラマーはジョーに喉を打たれた後、教会の鐘楼で見張りをしています。
ジョーは鐘楼へ続く床の扉に目をつけます。
そして、ラマーが扉の上に立った瞬間に開け、教会の床へ転落させるのです。
ラマーは命を落とし、ジョーは彼の武器を手に入れます。
この場面が面白いのは、ジョーが銃の腕前だけで敵を倒していないところです。
建物の構造や相手の油断を利用して、うまく切り抜けています。
ジョーはその後、鐘楼から外へ脱出します。
さらにハーランの部屋へ忍び込み、高性能のライフルを奪います。
そのころ、ハーランが宣告した期限が過ぎようとしていました。
村人たちが処刑されそうになったところで、ジョーが行動を起こします。
ヘレンを連れて外へ出ると、処刑を実行しようとする男たちに銃を向け、村人を救います。
そしてヘレンとともに馬で逃走し、ハーラン側の馬も逃がして追跡を妨げます。
ここでジョーとハーランは、完全に敵同士になります。
ジョーはチャマの思想に目覚めたというより、罪のない人々を殺すハーランのやり方を許せなかったのでしょう。
自分の中にある一線を越えられたからこそ、行動を変えたように見えます。
チャマとの再会とヘレンの失望
村を脱出したジョーとヘレンは、チャマのところへ向かいます。
ところが、ヘレンはチャマに対して怒りをぶつけます。
村人たちが命の危険にさらされていたのに、助けに来なかったからです。
チャマは、人々のために戦う指導者として活動してきました。
しかし、その人々を守ることができなかったのです。
理想を掲げることと、目の前の人を助けることは、必ずしも同じではありません。
この場面では、そんな難しさを感じます。
一方、ジョーはチャマにシノーラの町へ戻るよう求めます。
しかも、単なるお願いではありません。
銃を見せて、自分の要求に従わせようとします。
ジョーの目的は、チャマをハーランに殺させることではなく、生きたまま保安官へ引き渡すことでした。
少し不思議な判断にも見えますね。
なぜ、村人を助けたジョーが、その指導者であるチャマを捕まえるのでしょうか。
ここが『シノーラ』の面白いところでもあり、評価が分かれるところでもあります。
ジョーは、チャマの味方になったわけではありません。
ただ、ハーランによる勝手な処刑も認めないのです。
チャマには生きて裁きを受けさせ、ハーランの暴力は止める。
そんな自分なりの落としどころを選んだのだと思います。
ラモンの死と狙撃手ミンゴとの戦い
ジョーたちはチャマを連れて、シノーラの町へ戻ることにします。
一方、ハーランは先回りして、町の建物の屋根などに銃撃手を配置していました。
ジョーが戻ってきたところを、待ち伏せして殺すつもりです。
町の近くまで来たジョーは、何かおかしいと感じます。
そしてチャマの仲間ラモンを先に進ませます。
ところが、ラモンは待ち構えていた敵に撃たれ、命を落としてしまいます。
この場面は、ジョーの行動を考えるうえで見逃せません。
ジョーは村人の処刑を止めた人物ですが、自分たちの安全を確かめるためにラモンを危険にさらしてしまったからです。
もちろん、ラモンが死ぬことを望んでいたわけではないでしょう。
それでも、結果としてひとりの命が失われています。
ジョーも決して完璧な正義の味方ではないことが、ここからも伝わってきます。
また、終盤ではハーラン側の狙撃手ミンゴとの攻防も描かれます。
ミンゴは遠距離から正確に射撃する危険な相手です。
ジョーも高性能のライフルを使いながら反撃しますが、普通の早撃ちとは違った緊張感があります。
相手の位置を探り、隠れ場所を利用し、射撃の機会をうかがう。
こうした戦い方も、『シノーラ』のアクションを面白くしている部分です。
クライマックス:機関車が酒場へ突っ込む!
敵が待ち構えている町へ、そのまま入るわけにはいきません。
そこでジョーが目をつけたのが、近くの線路に停車している蒸気機関車でした。
ジョーは機関車を動かし、シノーラの町へ突入します。
そして、なんとそのまま酒場へ突っ込ませるのです。
この展開には驚かされます。
それまでの映画では、ライフルや拳銃を使った銃撃戦が中心でした。
ところが最後には、機関車そのものを武器にしてしまうのです。
あまりの豪快さに、思わず笑ってしまう人がいるのもわかります。
ただ、ジョーという人物を考えると、どこか納得できる行動でもあります。
相手が準備した待ち伏せに、正面から付き合う必要はありません。
銃で突破するのが難しいなら、もっと大胆な方法を選べばいい。
ジョーらしい、型にはまらない発想ですね。
この機関車の突入には、映画の製作過程に関する興味深い話も残っています。
AFIの記録によると、撮影地にあった鉄道の線路が酒場の近くまで延びていることから、ジョン・スタージェス監督がこの演出を思いついたとされています。
実際の撮影場所の特徴が、映画を代表する場面につながったというわけです。
ラスト:法廷でハーランを倒し、ジョーは町を去る
機関車による突入で、ハーランの部下たちは追い詰められます。
やがて部下たちは降伏しますが、ハーランだけは逃げようとします。
彼が逃げ込んだのは、町の裁判所でした。
ところが、法廷に入ったハーランを待っていたのは、判事の椅子に座るジョーです。
ジョーは銃を撃ち、ハーランを倒します。
ここで、二人の戦いには決着がつきます。
この場面には、少し皮肉なものがあります。
物語の最初に登場した法廷は、チャマたちが自分たちの土地の権利を訴える場所でした。
しかし、そこで彼らの主張は認められませんでした。
そして最後には、同じ法廷でジョーがハーランを殺します。
本来は法律に従って裁きが行われる場所なのに、最終的な決着をつけたのは銃なのです。
ハーランを倒したジョーは、チャマを保安官へ引き渡します。
ところが、その後で保安官を殴り倒してしまいます。
最後まで権力に素直に従わないところが、いかにもジョーらしいですね。
そして、ヘレンとともに自分の牧場へ帰っていきます。
ジョーの戦いには決着がつきました。
ただ、チャマたちが土地を取り戻せたのかどうかは、最後まで描かれません。
悪党を倒してすっきりする一方で、何か大切な問題が残っているようにも感じられる結末です。
映画『シノーラ』の感想!面白いと感じる5つの見どころ
『シノーラ』は、緻密な脚本で最後まで驚かせるタイプの映画ではありません。
けれど、イーストウッドの存在感や、ちょっと変わった銃撃戦、思い切りのいいラストなど、好きになれるところがいくつもあります。
映画全体の評価がそれほど高くなくても、繰り返し見返すファンがいるのは、こうした見どころがあるからでしょう。
若きクリント・イーストウッドの格好よさを楽しめる
まず外せないのは、クリント・イーストウッドの格好よさです。
本作のジョーは、必要なことしか話さず、相手の様子をじっと見ながら行動する人物です。
危険な場面でも慌てず、淡々としているところが印象に残ります。
イーストウッドの西部劇が好きな人には、この雰囲気だけでも十分に楽しめそうですね。
ただ、ジョーは何でもできる完璧なヒーローではありません。
序盤では自分の馬を奪われたことに腹を立て、高い報酬でハーランに雇われます。
社会のために戦おうとしているわけではなく、あくまで自分の都合で動いているのです。
それでも、無抵抗の人々を殺すようなやり方には反発します。
この切り替わりを、イーストウッドは大げさな演技ではなく、表情や態度の変化で見せてくれます。
ジョーがハーランを信用しなくなっていく様子は、言葉以上に視線や振る舞いから伝わってきます。
鑑賞者の感想でも、若い頃のイーストウッドの容姿やワイルドな魅力を評価する声があります。
また、マカロニ・ウエスタンではない作品でも、イーストウッドの西部劇は楽しめるという反応も見られます。
たしかに、作品全体に物足りなさを感じても、ジョーという人物の見せ方には惹かれるところがあります。
機関車が酒場に突っ込むラストは忘れがたい
この映画の見どころをひとつだけ選ぶなら、やはり機関車の突入シーンでしょう。
それまでの銃撃戦から一転して、ジョーは大きな蒸気機関車を酒場へ突っ込ませます。
リアリティを重視すると、かなり大胆な展開です。
けれど、映画の見せ場としては強烈ですね。
敵が待ち伏せしているからといって、正面から撃ち合う必要はない。
機関車で建物ごと突破してしまえばいいという、ジョーの大胆な発想が伝わってきます。
しかも、この場面には少し笑ってしまうような面白さもあります。
ずっと落ち着いた雰囲気で進んでいた作品が、最後になって急に豪快なアクションを見せるからです。
鑑賞者の感想でも、この場面の唐突さに驚いたり、思わず笑ったりしたという反応があります。
英語圏でも、機関車を酒場へ突っ込ませる場面は印象的な見どころとして挙げられています。
脚本が緻密かどうかとは別に、一度見たら忘れられない場面がある。
それも映画の魅力のひとつだと思います。
モーゼルC96や狙撃戦など、銃撃アクションが個性的
『シノーラ』には、一般的な西部劇とは少し雰囲気の違う銃撃戦があります。
その理由のひとつが、登場する武器です。
西部劇では、腰のホルスターからリボルバーを抜いて撃つ場面をよく見かけます。
もちろん本作にもそうした要素はありますが、モーゼルC96のような自動拳銃や、高性能のライフルも登場します。
モーゼルC96は、19世紀末に登場したドイツ製の拳銃です。
独特の形をしているため、銃器に詳しくない人でも印象に残りやすい武器ですね。
また、ハーランの部下ラマーが使う特製の銃も、彼の危険な性格を強調しています。
ただ、ジョーは銃の性能だけで勝負しません。
ラマーとの対決ではライフルの銃床を使い、その後は教会の鐘楼を利用して倒します。
このあたりは、ジョーが単に射撃のうまい男ではないことを示しています。
相手の油断を見抜き、その場にあるものを利用するのが得意なのです。
もうひとつ注目したいのが、狙撃手ミンゴとの対決です。
こちらは遠距離からの射撃が中心になるため、早撃ちとは違う緊張感があります。
相手のいる場所を探り、身を隠しながら反撃の機会をうかがう。
銃撃戦の種類がひとつではないところも、本作の見どころです。
銃の種類や使い方に注目して見返すと、最初に見たときとは違った楽しみ方ができそうです。
ロバート・デュヴァルの冷酷な悪役ぶりがいい
『シノーラ』では、ロバート・デュヴァル演じるハーランも印象に残ります。
ハーランは、最初から大声で怒鳴ったり、乱暴に振る舞ったりする人物ではありません。
裕福な地主らしく落ち着いた態度で、部下たちに指示を出します。
ところが、自分の目的を果たすためなら、人を殺すことにもためらいがありません。
特に、抵抗できなくなった相手を処刑する場面や、村人を人質にする場面には、冷たい本性が表れています。
ハーランにとって、他人の命は自分の利益を守るための道具のようなものなのでしょう。
そんな人物だからこそ、ジョーとの対立がはっきりしてきます。
ジョーも暴力を使う男ですが、無抵抗の人を見せしめに殺すような行動には反発します。
二人の違いが明らかになるにつれて、映画の緊張感も高まっていきます。
ロバート・デュヴァルの演技も、大げさすぎないところがいいですね。
いかにも悪人らしい振る舞いをしていないのに、行動を見ていると本当に嫌な人物に思えてきます。
ジョーの格好よさを引き立てるうえで、ハーランの存在は欠かせません。
ラロ・シフリンの音楽と荒野の風景も魅力
『シノーラ』では、ラロ・シフリンが音楽を担当しています。
シフリンといえば、『ダーティハリー』や『燃えよドラゴン』などでも知られる作曲家です。
本作では、広い荒野の風景と音楽が重なり、いかにも西部劇らしい雰囲気を味わえます。
山道を馬で進む場面や、これから何か起こりそうな場面では、音楽が映画の空気をつくっています。
一方で、作品全体には少し軽快なところもあります。
土地を奪われた人々の問題や、村人の処刑という重い出来事を描いているのに、映画がずっと暗い雰囲気になるわけではありません。
そのあたりにも、昔ながらの娯楽西部劇らしさを感じます。
また、乾いた荒野や山岳地帯の映像も見どころです。
馬に乗った人物たちが広い風景の中を進むだけでも、西部劇ならではの気分を味わえます。
ただ、音楽や演出については好みが分かれるところもあるようです。
ラロ・シフリンの音楽を高く評価する人がいる一方、映画全体のテンポにはもう少し工夫がほしかったという意見もあります。
映像や音楽をじっくり楽しみたい人と、テンポよく話が進むことを重視する人では、印象が違ってくるのでしょう。
映画『シノーラ』がつまらない・微妙と評価される4つの理由
『シノーラ』には印象的な見せ場があるものの、誰もが絶賛するような作品ではありません。
鑑賞者の口コミでは、脚本や主人公の行動に物足りなさを感じる声もあります。実は、こうした問題は公開当時の映画評論家からも指摘されていました。
どんなところが評価の分かれ目になっているのでしょうか。作品のよさを認めつつ、気になる部分も見ていきましょう。
ジョー・キッドの気持ちがわかりにくい
本作で最も評価が分かれそうなのは、ジョーの行動です。
彼は最初、土地争いに関わるつもりがありません。
ところが、自分の馬を盗まれると、ハーランに雇われてチャマを追いかけます。
その後、ハーランの残酷さに反発し、今度はチャマを助けるような行動を取ります。
ところが最後には、そのチャマを保安官へ引き渡してしまうのです。
出来事を順番に見れば、それぞれの行動には理由があります。
ただ、ジョー自身が考えていることを細かく話すわけではありません。
そのため、急に立場を変えたように見える部分があります。
この点は、公開当時から指摘されていました。
映画評論家ロジャー・イーバートも、ジョーが誰の側に立っているのか、その理由がわかりにくいと批判しています。
もちろん、何でも言葉で説明しないことは、イーストウッドらしい魅力でもあります。
それでも、主人公の考え方をもう少し丁寧に描いてほしかったと思う人がいても不思議ではありません。
土地争いという題材を十分に掘り下げていない
『シノーラ』には、かなり重い問題が描かれています。
それは、長年暮らしてきた土地を奪われた人々が、法律によっても救われないということです。
チャマたちは、自分たちの土地を取り戻すために武装しています。
その背景には、土地の権利を証明する書類が失われたという事情があります。
この設定だけでも、じっくり描けば深いドラマになりそうです。
ところが映画は、土地の権利問題を詳しく説明するより、ジョーとハーランの戦いを中心に進んでいきます。
最後も、ハーランが倒されたところで物語に決着がつきます。
チャマたちが土地を取り戻したかどうかは、はっきりしません。
この終わり方を、少し物足りないと感じる人もいるでしょう。
本来の問題は、悪い地主をひとり倒せば解決するほど単純ではないからです。
もっとも、映画が目指していたのは、重厚な社会派ドラマというより、イーストウッド主演の娯楽西部劇だったのかもしれません。
そう考えると、社会的な問題を背景に置きながら、アクションを中心に描いた理由も理解できます。
ただ、せっかく興味深い題材を扱っているだけに、もう少し掘り下げてほしかったという気持ちも残ります。
展開が単調に感じられるところがある
『シノーラ』は比較的短い映画ですが、最初から最後まで派手なアクションが続くわけではありません。
前半では、ジョーがハーランに雇われ、チャマを追いかけるまでが描かれます。
その後も、荒野を移動したり、人物同士の会話が続いたりする場面があります。
こうした部分は人物の関係を理解するために必要ですが、早く銃撃戦を見たい人には少し長く感じられるかもしれません。
一方、後半になると状況が大きく変わります。
教会からの脱出や狙撃戦が続き、最後は機関車の突入という豪快な場面が待っています。
つまり、前半と後半では映画の勢いがかなり違うんですね。
物語がゆっくり進む部分を楽しめるかどうかで、全体の印象も変わりそうです。
特に、テンポの速いアクション映画に慣れていると、少し古く感じられるところがあるかもしれません。
ただ、その落ち着いたテンポを昔ながらの西部劇らしさとして楽しむこともできます。
イーストウッドの代表作と比べると地味
クリント・イーストウッドの出演作には、有名な映画がたくさんあります。
『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』などは、西部劇の代表作として知られていますね。
そうした作品を見た後で『シノーラ』を見ると、少し地味に感じる可能性があります。
壮大な物語や長い決闘シーン、忘れられない音楽などを期待すると、思ったほどではないと感じるかもしれません。
ただ、これは『シノーラ』がまったく面白くないということではありません。
本作には、本作なりの楽しさがあります。
イーストウッドの寡黙な演技、ロバート・デュヴァルの悪役ぶり、個性的な銃器、そして機関車の突入。
こうした部分だけでも、西部劇が好きな人なら楽しめるところがあるはずです。
代表作と同じ規模や完成度を期待しすぎないことが、この映画を楽しむコツかもしれません。
『シノーラ』の口コミや評判は?評価が分かれる理由を紹介
映画の評判を知りたいときは、レビューの点数だけでなく、どんな理由で評価されているのかを見ると参考になります。
『シノーラ』の場合、イーストウッドの魅力や銃撃戦を楽しんでいる人がいる一方、脚本やテンポを物足りなく感じている人もいます。
そのため、評価が飛び抜けて高い作品ではなくても、好きな人にはしっかり支持されている西部劇といえそうです。
Filmarksや映画.comで見られる感想の傾向
国内の映画レビューサイトで『シノーラ』の感想を見てみると、全体としては評価が分かれる作品であることがわかります。
高く評価する人もいますが、脚本や展開に物足りなさを感じている人もいます。
特に目につくのは、イーストウッドの格好よさを楽しんでいる感想です。
ストーリーには不満があっても、主演俳優の存在感やガンアクションには魅力を感じるという受け止め方ですね。
また、機関車の突入シーンや銃器の扱いを評価する声もあります。
一方、ジョーの行動がわかりにくいことや、物語が単純であることを弱点として挙げる意見も見られます。
こうした感想を並べてみると、本作の特徴がよくわかります。
作品全体の完成度には意見が分かれても、好きな場面がはっきりしている映画なのです。
なお、Filmarksや映画.comの評価点、レビュー件数は投稿によって変わります。
数値だけで作品のよし悪しを決めず、どんな部分が評価されているのかを読むと、自分に合う作品かどうか判断しやすいでしょう。
参考:Filmarks『シノーラ』の口コミ・評価、映画.com
X上ではイーストウッドや機関車の場面が好評
X上の感想として紹介されている反応には、イーストウッドの格好よさや機関車の突入場面を評価する声があります。
特に、機関車が突然酒場へ突っ込む場面は、思わず笑ってしまうほど大胆で面白いという受け止め方もされています。
また、モーゼルC96などの銃器や狙撃戦に注目している人もいるようです。
本作は、物語の意外性だけでなく、好きな俳優の演技やアクションを楽しむ映画として親しまれている面があるのでしょう。
一方で、内容は比較的平凡だという感想や、イーストウッドの出演作の中ではあまり話題にならない作品だという声もあります。
大傑作とまでは思わないけれど、嫌いではない。
そんな少し控えめな好意が、この作品には似合う気がします。
また、西部劇や銃器のファンからは、繰り返し鑑賞しているという声もあります。
すでに結末を知っていても、好きな場面や俳優の演技を楽しめるところが、長く支持される理由のひとつなのかもしれません。
海外でも「楽しめるけれど平凡」という意見がある
『シノーラ』に対する賛否は、日本だけのものではありません。
英語圏でも、娯楽西部劇として楽しめると評価する人がいる一方、物語が基本的で、イーストウッドのほかの出演作ほど強い印象を残さないという意見があります。
ただし、機関車の突入シーンやガンアクションへの評価は、海外でも見られます。
こうした傾向は、国内の鑑賞者の感想ともよく似ています。
映画の見どころがはっきりしている一方、物語の完成度には不満も残る。
だからこそ、鑑賞者によって評価が分かれるのでしょう。
レビューの点数だけを見るより、具体的な意見を読む方が、この映画の特徴をつかみやすいと思います。
公開当時の映画評論家は『シノーラ』をどう評価した?
『シノーラ』の評価が分かれるのは、時代が変わったことで古い映画が見づらくなったから、というだけではありません。
実は公開当時から、脚本や主人公の行動に疑問を持つ評論家がいました。
当時の批評を読んでみると、今の鑑賞者が感じる不満との共通点も見えてきます。
ロジャー・イーバートは4点満点中2点と評価
アメリカの映画評論家ロジャー・イーバートは、1972年7月18日のレビューで『シノーラ』に4点満点中2点をつけています。
彼が特に気にしていたのは、ジョーが誰の側に立っているのか、なぜそのように行動するのかがわかりにくいことでした。
ジョーは最初、チャマに関心がありません。
ところが個人的な事情で追跡に参加し、その後はハーランと対立するようになります。
こうした行動の変化が、十分に説明されていないと感じたのでしょう。
イーバートは映像の美しさを認めながらも、物語の進み方には物足りなさを感じていました。
また、土地を取り戻すために武装したチャマが、最後には法の裁きに委ねられる展開についても疑問を呈しています。
参考:Roger Ebert『Joe Kidd』映画評(1972年)
この批評は、現在の観客が抱く疑問とも重なっています。
ジョーの行動をどう理解するかは、公開当時から本作の大きな論点だったのですね。
脚本への批判があっても根強いファンがいる理由
映画には、脚本がよくできているから好きになる作品もあれば、特定の場面や俳優に惹かれて好きになる作品もあります。
『シノーラ』は、後者の魅力が強い一本なのかもしれません。
たとえば、イーストウッドの寡黙な演技を楽しみたい人にとっては、ジョーの格好よさが大きな魅力になります。
銃器に興味がある人なら、登場する武器や狙撃戦に注目するでしょう。
機関車の場面が好きな人なら、あの豪快なアクションを見るだけでも満足できるかもしれません。
一方、主人公の行動に納得できるかどうかを重視すると、不満が残りそうです。
どちらの見方が正しいということではありません。
映画の楽しみ方は、見る人によって違います。
『シノーラ』の場合、その違いが評価にはっきり表れているように感じられます。
映画『シノーラ』の結末を考察!ジョー・キッドの正義とは?
『シノーラ』のラストを振り返ると、ジョーは本当に正しいことをしたのだろうかと考えたくなります。
村人を救い、残酷なハーランを倒したことには、すっきりする部分があります。
けれど、ジョー自身も銃で人を殺し、チャマを保安官に引き渡し、最後にはその保安官まで殴っています。
こうした矛盾も含めて、映画が描いた正義について考えてみましょう。
ジョーは最初から正義の味方だったわけではない
ジョー・キッドは、最初から人々を助けるために立ち上がったヒーローではありません。
彼がハーランに雇われた理由は、チャマの仲間に馬を盗まれ、牧場のエミリオが傷つけられたからです。
つまり、きっかけは個人的な怒りでした。
土地を奪われた人々の事情を知っても、すぐにチャマの味方になったわけではありません。
ただ、ハーランの行動を見ているうちに、自分の中で許せないものがはっきりしてきます。
それが、抵抗できない相手を殺すことや、罪のない人々を犠牲にすることでした。
ジョーは銃を使うことにためらいのない男です。
それでも、どんな相手を殺してもよいとは考えていません。
自分の中には、越えてはいけない一線があるのでしょう。
その線を越えたハーランとは、もう一緒に行動できなかったのだと思います。
こうして考えると、ジョーは正義感に目覚めて別人になったのではありません。
もともと持っていた価値観に従って、行動する相手を変えただけなのかもしれませんね。
チャマを助けながら保安官へ引き渡したのはなぜ?
この映画で、特に引っかかるのがチャマの扱いです。
ジョーはハーランの手から村人を救い、チャマを殺させないようにします。
ところが、最後にはチャマを保安官へ引き渡します。
チャマの味方になったのなら、そのまま逃がしてもよかったのではないでしょうか。
ただ、ジョーは最初からチャマの思想に賛同したわけではありません。
チャマたちは土地を取り戻そうとしていますが、その過程で馬を盗み、人を傷つけてもいます。
しかも、村人たちが命の危険にさらされたときには、指導者として十分に守れませんでした。
ジョーは、ハーランの行動を許せなかった一方で、チャマの行動もすべて正しいとは考えていなかったのでしょう。
だからこそ、ハーランに殺させるのではなく、生きたまま法の裁きに委ねようとしたのだと思います。
ただ、ここには大きな疑問が残ります。
そもそも、チャマたちが武装して立ち上がったのは、法律が自分たちの土地の権利を守ってくれなかったからです。
その法律にもう一度期待することは、本当に解決につながるのでしょうか。
ジョーの判断を、人命を守るための現実的な選択と見ることはできます。
一方で、土地を奪われた人々が抱える根本的な問題には、何も答えていないようにも感じられます。
この割り切れなさが、『シノーラ』のラストを考えるうえで興味深いところです。
法廷でハーランを殺す場面に感じる皮肉
物語の冒頭では、チャマたちが法廷で土地の権利を訴えています。
しかし、彼らの主張は認められず、怒ったチャマは書類に火をつけてしまいます。
本来、法律は立場の弱い人々も守るためにあるはずです。
ところが、この映画では、法律が必ずしも公平に働いているようには見えません。
そして最後、ハーランが逃げ込むのも同じ法廷です。
そこには判事ではなく、ジョーが座っています。
ジョーはハーランを撃ち殺し、争いに決着をつけます。
この流れを見ると、少し皮肉な気持ちになります。
公平な裁きが行われるはずの場所で、最後には一人のガンマンが銃で決着をつけてしまうからです。
しかも、冒頭では裁かれる側だったジョーが、ラストでは判事の椅子に座っています。
この対比には、映画ならではの面白さがあります。
ただ、だからといって、ジョーが法に代わる正しい裁判官になったと考えるのは難しいでしょう。
彼が行ったのは正式な裁判ではなく、銃による殺害です。
法律で解決できなかった問題を、最後には暴力で片づけてしまう。
そこに西部劇らしい爽快感と危うさの両方があるのだと思います。
ラモンの死から見えてくるジョーの危うさ
ジョーは、無抵抗の村人を殺そうとするハーランに反発しました。
そのため、観客からすると、ジョーはハーランよりも正しい人物に見えます。
実際、人質になった村人を救った行動には、共感できるところがあります。
しかし、その後のラモンの死を考えると、ジョーも完全に正しい人物とは言い切れません。
町に敵が待ち伏せしていることを警戒したジョーは、ラモンを先に進ませます。
その結果、ラモンは敵に撃たれてしまいます。
ジョーが彼の死を望んでいたわけではありません。
それでも、危険を確かめるためにラモンを先行させた判断には、問題があったのではないでしょうか。
自分の目的を達成するために、ほかの誰かを危険にさらしてしまう。
その点では、ジョーもまた暴力的な世界の中で生きる人物なのです。
だからこそ、彼を完璧なヒーローとして描かないところに、この映画の面白さがあります。
ジョーはハーランほど残酷ではありませんが、いつでも正しいわけではない。
そんな人物だからこそ、彼の選んだ正義について考えたくなります。
白人主人公が土地問題を解決する物語への違和感
『シノーラ』には、もうひとつ気になるところがあります。
それは、土地を奪われたメキシコ系住民の問題なのに、最後に活躍するのは白人の主人公ジョーだということです。
チャマたちは自分たちの土地を取り戻そうとしています。
しかし、物語の中心は次第にジョーとハーランの対決へ移っていきます。
そして最後には、ジョーがハーランを倒すことで映画が終わります。
チャマたちが自分たちの力で土地を取り戻す展開にはなりません。
ここを物足りなく感じる人もいるでしょう。
ジョーの活躍は痛快ですが、それによって土地の問題が解決したわけではないからです。
ただ、スター主演の娯楽西部劇として考えると、主人公の活躍を中心に描く構成になったことも理解できます。
クリント・イーストウッド主演の映画を見る観客は、やはり彼のガンアクションを期待するでしょう。
それでも、現代の視点で見ると、チャマたちの物語をもっと描いてほしかったという気持ちも残ります。
ジョーの活躍を楽しむことと、映画の描き方に疑問を持つことは、両立していいと思います。
機関車の突入は権力への反発にも見える
最後に、もう一度機関車の場面を考えてみます。
ハーランはお金と武器を使い、町を自分に有利な場所へ変えようとしていました。
建物の屋根に銃撃手を配置し、ジョーを待ち伏せします。
ところがジョーは、その作戦を機関車で台無しにします。
相手が用意した戦い方に付き合わず、まったく別の方法で突破するのです。
この場面は、ジョーの性格によく合っています。
誰かに雇われても、相手の言うことをすべて聞くわけではありません。
法律にも、社会的な権力にも、簡単には従いません。
自分が納得できる方法を選び、強引にでも実行してしまいます。
そんなジョーの生き方が、機関車の突入という大胆なアクションに表れているように感じられます。
もちろん、製作者が最初からこうした象徴的な意味を意図していたと断定することはできません。
それでも、完成した映画の中では、ハーランが築いた支配をジョーが力ずくで壊す場面として見ることができます。
『シノーラ』は修正主義西部劇?土地争いから見えるテーマ
『シノーラ』は、昔ながらの西部劇らしいアクションを楽しめる作品ですが、その裏側には少し複雑な問題があります。
特に、土地を奪われた人々が単純な悪者として描かれるのではなく、法律や社会的な権力を持つ側にも問題があるところが特徴です。
こうした描き方は、従来の西部劇の価値観を見直す「修正主義西部劇」の要素とも重なります。
修正主義西部劇とはどういう意味?
昔ながらの西部劇では、勇敢なガンマンや保安官が悪党を倒し、町の平和を取り戻す物語がよく描かれてきました。
主人公は正義を守る側で、悪党は秩序を乱す側という、わかりやすい構図です。
一方、修正主義西部劇では、そうした単純な善悪の分け方を見直します。
開拓時代に土地を奪われた人々や、権力を持つ者の暴力、法律の不公平さなどにも目を向けるのです。
『シノーラ』では、土地を取り戻そうとするメキシコ系住民が武装しています。
しかし、彼らが単純な悪党というわけではありません。
一方、裕福な地主ハーランは社会的な地位を持ちながら、残酷な行動を取ります。
この構図には、従来の西部劇とは違った見方が感じられます。
ただし、本作は最後まで社会的な問題を掘り下げる映画ではありません。
結局はジョーが銃で悪党を倒し、娯楽西部劇らしい結末を迎えます。
そのため、修正主義西部劇の要素を持ちながら、古典的なアクションの面白さも残した作品と考えるとわかりやすいでしょう。
土地の権利は誰のものなのか
チャマたちが怒っているのは、単に裕福な地主が嫌いだからではありません。
彼らには、自分たちの先祖が持っていた土地を奪われたという事情があります。
ところが、その権利を証明する書類が失われ、法律では認めてもらえなくなっています。
ここで考えたくなるのが、土地の所有者は誰なのかという問題です。
長年そこで暮らしてきた人々がいても、書類がなければ権利を認められないのでしょうか。
逆に、お金や法律上の権利を持っていれば、それまで暮らしていた人々を追い出してもよいのでしょうか。
もちろん、現実の土地所有権の問題は、映画ほど単純ではありません。
しかし『シノーラ』では、そうした不公平さを物語の出発点にしています。
土地を奪われた人々が怒る理由を理解すると、チャマの行動も単なる反乱としては片づけられなくなります。
チャマは本当に人々のために戦っていた?
チャマは、土地を取り戻すために人々を率いる指導者です。
その目的には、理解できるところがあります。
ただ、彼の行動がすべて正しいわけではありません。
武装して法廷へ乗り込み、ジョーの馬を奪い、牧場の仲間にも危害を加えます。
さらに、村人たちが処刑されそうになったときには、助けに来ませんでした。
ヘレンが怒るのも理解できます。
人々のために戦うと言いながら、その人々を守れなかったからです。
ここには、正しい目的を持つことと、正しい行動をすることの違いが描かれているように思います。
ただ、チャマを責めるだけでは、彼が置かれていた厳しい状況を見落としてしまいます。
もともと法律によって救われなかったからこそ、武装して抵抗する道を選んだという事情もあるからです。
チャマは、完全な英雄でも単純な悪党でもありません。
その複雑さが、ジョーとの関係を興味深いものにしています。
ヘレンがジョーに心を開いた理由
ヘレンは、最初からジョーを信頼していたわけではありません。
むしろ、ハーランに雇われているジョーに対して、批判的な態度を見せています。
彼女からすれば、ジョーは土地を奪われた人々を追い詰める側にいる人物でした。
ところが、ジョーはハーランの残酷な行動に反発し、村人たちを助けます。
ヘレンはその行動を見て、ジョーに対する考えを変えていったのでしょう。
一方、チャマに対しては失望を感じるようになります。
人々のために戦うと語っていたのに、目の前の村人たちを救えなかったからです。
こうして考えると、ヘレンが最後にジョーとともに町を去る展開も理解しやすくなります。
ただ、恋愛関係が急に完成したというより、信頼できる相手を自分で選んだと捉える方が自然かもしれません。
『シノーラ』の日本語吹替は山田康雄!テレビ版の魅力
『シノーラ』を日本語吹替で楽しむなら、山田康雄によるジョー・キッドの声にも注目したいところです。
山田康雄は、クリント・イーストウッドの日本語吹替で親しまれた声優です。かつてテレビの洋画放送を楽しんでいた人には、懐かしく感じられる組み合わせでしょう。
山田康雄の声がジョー・キッドに合っている
山田康雄といえば、『ルパン三世』のルパン役を思い浮かべる人も多いでしょう。
一方で、洋画の吹替ではイーストウッドの声も数多く担当しています。
山田康雄の声には、渋さだけでなく、どこか軽やかな雰囲気もあります。
そのため、少し皮肉っぽいせりふや、余裕を感じさせる場面にもよく合います。
『シノーラ』のジョーは、感情を大きく表に出す人物ではありません。
短いせりふでも、言い方によって印象が変わります。
山田康雄の吹替では、ジョーのぶっきらぼうなところや、相手を軽くあしらうような雰囲気も楽しめます。
鑑賞者の感想でも、山田康雄によるイーストウッドの吹替を好む声があります。
字幕版とは違う魅力を味わえるのが、日本語吹替のいいところですね。
『水曜ロードショー』版の日本語吹替キャスト
『シノーラ』には、1975年11月5日に日本テレビ『水曜ロードショー』で放送された日本語吹替版があります。
主な吹替キャストは次のとおりです。
| 登場人物 | 俳優 | 日本語吹替 |
|---|---|---|
| ジョー・キッド | クリント・イーストウッド | 山田康雄 |
| フランク・ハーラン | ロバート・デュヴァル | 須藤健 |
| ルイス・チャマ | ジョン・サクソン | 小林勝彦 |
| ラマー | ドン・ストラウド | 青野武 |
イーストウッドと山田康雄の組み合わせは、昔から洋画を楽しんでいるファンにとって、特別な魅力があります。
吹替で鑑賞する場合は、声の演技にも耳を傾けてみるとよさそうです。
ブルーレイでも山田康雄の吹替を楽しめる?
『シノーラ』には、『ユニバーサル思い出の復刻版』として発売されたブルーレイがあります。
この商品には、『水曜ロードショー』版の日本語吹替が収録されています。
かつてのテレビ放送を覚えている人には、うれしい仕様ですね。
ただし、テレビ放送用の吹替音源を使用しているため、一部はオリジナル音声に切り替わり、日本語字幕で補われます。
全編を通して完全に同じ日本語吹替で見られるわけではない点には注意が必要です。
また、映像ソフトの販売状況や配信サービスでの取り扱いは変わることがあります。
鑑賞したい場合は、作品の収録内容や吹替の有無を確認しておくと安心です。
『シノーラ』とイーストウッドのほかの西部劇との違い
『シノーラ』を見ると、イーストウッドが過去に演じてきたガンマンたちを思い出すかもしれません。
ただ、同じように寡黙な主人公でも、作品によって性格や行動の理由は少しずつ違います。
ほかの出演作と比べてみると、ジョー・キッドならではの特徴も見えてきます。
『荒野の用心棒』との違い
荒野の用心棒では、イーストウッドが演じる名無しの男が、対立する勢力の間で巧みに立ち回ります。
主人公が何を考えているのか、すべては明かされません。
その謎めいた雰囲気が魅力です。
『シノーラ』のジョーも寡黙ですが、こちらは牧場を営んでいて、馬を盗まれたというはっきりした事情があります。
そのため、少し生活感のある人物に見えます。
ただ、どちらも誰かの命令に簡単には従わず、自分の判断で行動するところは共通しています。
イーストウッドらしいガンマン像を楽しめるという意味では、通じるものがありますね。
『続・夕陽のガンマン』との違い
続・夕陽のガンマンは、壮大な音楽や緊張感のある決闘で知られています。
長い時間を使って場面を盛り上げる演出も印象的です。
それに対して『シノーラ』は、比較的短い上映時間で物語が進みます。
土地争いから追跡劇、ハーランとの対立、そして最後の銃撃戦へと展開します。
壮大な物語を期待すると物足りないかもしれませんが、気軽に楽しめるという長所もあります。
イーストウッドの代表作を見終わった後に、少し違う雰囲気の西部劇として鑑賞してみるのもよさそうです。
『ダーティハリー』と共通するところ
ダーティハリーは、西部劇ではなく現代の刑事映画です。
しかし、主人公の反骨精神という点では『シノーラ』と通じるものがあります。
どちらも、制度や権力に対して必ずしも従順ではありません。
自分が正しいと考えたことを、周囲に反対されても実行します。
もちろん、警察官のハリーと元賞金稼ぎのジョーでは立場が違います。
それでも、社会のルールにすんなり収まらない人物を演じるイーストウッドの魅力は、どちらにも感じられます。
『シノーラ』はどんな人におすすめ?
『シノーラ』は、イーストウッドの西部劇が好きな人には楽しめるところの多い作品です。
ただし、複雑な物語や緻密な脚本を期待すると、少し物足りないかもしれません。
どんな映画を見たいかによって、満足度が変わってきそうです。
イーストウッドの魅力や銃撃戦を楽しみたい人におすすめ
本作は、次のような人に向いています。
- 若い頃のクリント・イーストウッドの出演作を楽しみたい人
- 昔ながらの西部劇やガンアクションが好きな人
- 個性的な銃器や狙撃戦に興味がある人
- ロバート・デュヴァルやジョン・サクソンの演技を見たい人
- 山田康雄によるイーストウッドの吹替を楽しみたい人
また、上映時間が比較的短いので、長い映画を見る時間がないときにも選びやすい一本です。
ただ、派手なアクションが最初から続くわけではありません。
序盤の土地争いや人物関係を理解しておくと、後半がより楽しめると思います。
深い社会派ドラマを期待すると物足りないかも
一方で、土地所有権の問題を詳しく描いた社会派ドラマを期待している人には、少し物足りないかもしれません。
『シノーラ』は重いテーマを扱っていますが、最後までその問題を掘り下げるわけではありません。
物語の中心は、ジョーとハーランの戦いへ移っていきます。
また、ジョーの心の動きも、すべてが説明されるわけではありません。
主人公の行動をどう受け止めるか、見る人に委ねられているところがあります。
その曖昧さを楽しめるなら、単なる娯楽西部劇以上の面白さを感じられるでしょう。
映画『シノーラ』についてよくある質問
『シノーラ』は、結末を知ってからも気になる部分が残る映画です。
特にジョーの行動やチャマのその後については、見終わってから疑問を持つ人もいるでしょう。
ここでは、よく気になりそうな点を整理しておきます。
『シノーラ』の最後はどうなる?
ジョー・キッドがハーランを倒し、チャマを生きたまま保安官へ引き渡します。
ハーランは法廷に逃げ込みますが、判事の椅子に座っていたジョーに撃たれて死亡します。
その後、ジョーは保安官を殴り、ヘレンとともに牧場へ帰っていきます。
ただし、チャマたちの土地問題がどうなったのかは描かれていません。
そのため、アクションとしてはすっきりする一方、少し考えさせられる結末になっています。
ジョーはなぜハーランを裏切った?
ハーランが無抵抗の人々を殺し、罪のない村人まで処刑しようとしたからです。
ジョーは最初、自分の馬を盗んだチャマを追うためにハーランに雇われました。
しかし、ハーランの残酷な行動を知り、協力を続けられなくなります。
ジョーはチャマの思想に全面的に賛同したわけではなく、自分の中で許せない行動に反発したのだと考えられます。
ルイス・チャマは最後に死ぬ?
チャマは最後まで生きています。
ジョーは彼を殺さずに町へ連れて戻り、保安官に引き渡します。
ただし、その後どのような裁きを受けたのか、土地を取り戻せたのかまでは描かれていません。
ハーランは倒されましたが、チャマたちが抱えていた問題が完全に解決したわけではないのです。
『シノーラ』は実話なの?
『シノーラ』は、特定の事件を忠実に映画化した実話作品ではありません。
エルモア・レナードが脚本を手がけたフィクションです。
ただし、土地の権利を巡る争いには、アメリカ南西部の歴史を思わせるところがあります。
歴史的な問題を背景にした西部劇として見ると、物語への理解も深まりそうです。
『シノーラ』はマカロニ・ウエスタンなの?
『シノーラ』は、アメリカで製作された西部劇です。
そのため、主にイタリアを中心に製作されたマカロニ・ウエスタンには分類されません。
ただ、寡黙なガンマンや乾いた雰囲気のアクションには、イーストウッドのマカロニ・ウエスタン出演作に通じる魅力があります。
機関車を酒場に突っ込ませたのはなぜ?
ジョーがハーランの部下たちによる待ち伏せを突破するためです。
町には銃撃手が配置されていて、普通に入れば危険な状況でした。
そこでジョーは蒸気機関車を使い、敵がいる酒場へ突っ込むという大胆な方法を選びます。
作品を代表する見せ場であり、ジョーの型にはまらない性格もよく表れている場面です。
『シノーラ』の評価が分かれる理由は?
主な理由は、主人公の行動がわかりにくいことや、物語の展開が比較的単純なことです。
公開当時から、ジョーがなぜ立場を変えるのかわかりにくいという批判がありました。
一方で、イーストウッドの魅力や銃撃戦、機関車の突入場面には根強い人気があります。
全体の完成度だけでなく、好きな場面や俳優を楽しむ映画として評価する人もいるようです。
『シノーラ』を見るなら字幕と吹替のどちらがおすすめ?
イーストウッド本人の声や演技を味わいたいなら、字幕版が向いています。
一方、往年のテレビ洋画放送の雰囲気を楽しみたい人には、山田康雄による日本語吹替版も魅力的です。
ジョーはせりふが多い人物ではないので、声の調子によって印象が変わるところがあります。
両方を見比べてみると、同じ場面でも違った楽しさを感じられるかもしれません。
映画『シノーラ』の感想・ネタバレ考察の結論
映画『シノーラ』は、クリント・イーストウッドの格好よさと、昔ながらの西部劇らしいアクションを楽しめる作品です。
物語には少しわかりにくいところがあり、土地争いという重いテーマを十分に掘り下げているわけでもありません。
公開当時から脚本については批判があり、鑑賞者の間でも評価が分かれています。
それでも、この映画には記憶に残る魅力があります。
まず、ジョー・キッドという主人公が面白いんですね。
最初は自分の事情でハーランに雇われますが、残酷な行動を目にすると反発します。
かといって、チャマの思想に全面的に賛同するわけでもありません。
自分の中にある基準に従って行動し、最後まで誰かに簡単には従わない男です。
ただ、その判断がいつも正しいとは限りません。
ラモンを危険にさらしてしまったことや、最後にハーランを銃で殺したことを考えると、ジョー自身も暴力によって問題を解決する世界の中にいます。
この矛盾があるからこそ、単純なヒーローでは終わらない面白さを感じます。
そして、やはり忘れられないのが機関車の突入です。
映画全体を通して見ると、かなり思い切った展開ですが、ジョーらしい豪快さが詰まっています。
ロバート・デュヴァルの冷酷な悪役ぶりや、ジョン・サクソンが演じるチャマの複雑さ、ラロ・シフリンの音楽、山田康雄の日本語吹替も見逃せません。
『シノーラ』は、イーストウッドの最高傑作とまではいえなくても、西部劇の痛快さと、簡単には割り切れない正義の問題を一緒に楽しめる一本です。
完璧な脚本を期待するより、個性的な登場人物や大胆なアクションを楽しむつもりで見ると、この映画らしいよさが見えてくると思います。
そして見終わった後には、ジョーの選択は本当に正しかったのか、チャマたちはこれからどうなるのかを考えてみるのも面白そうです。
機関車が酒場に突っ込む豪快なラストを楽しみながら、その裏側にはすっきり解決しない問題も残っている。
そんな少し不思議な味わいが、『シノーラ』を長く語りたくなる西部劇にしているのかもしれません。
